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ルイス・ポールセンの工場

音へのこだわり

音について思うことを書いています

1.生活の中での音の存在

街を歩くといろんなところから様々な音が聞こえてくる。ガソリンスタンド、ブティック、CDショップ、靴店、ファ−ストフ−ド、携帯電話の着信音など、どこからでも必要以上に大きな音が流れている。CDショップではジャンルの異なるコ−ナ−でそれぞれの音楽が流れている。何の曲を聴いているのか分からなくなる。ア−ケ−ドに入るとまたそれが凄まじい。天井からはア−ケ−ド用の音楽が流れているというのに、店それぞれが違う音楽を流し合っている。観光地では、売店の拡声器から演歌が大音量で流れている。しかも、音が歪んでいる。せっかく美しい自然を見に行ってもだいなしにされてしまう。家庭に行ってもうるさいことが多い。ピアノの練習をしている横でゲームの音がしていたり、テレビをつけたままCDを聴いていたりする。

文明の利器は使い方を間違えるとよくない。最近は、あまり耳にしなくなったが、石焼き芋やワラビ餅屋さんの鐘、豆腐屋さんの笛、あさり、しじみの行商の声など、私達の生活には、それくらいの音量が適当なのではないか。

自然破壊、環境破壊などについては一般的に感心が高いが、音が人々の生活におよぼす影響についてはあまり論じられることはない。私は音にたずさわるものとして、少しでもこのような状況に対してよい方向へ導く義務があると感じている。日頃の生活で無意識の内にうるさい中に身を置いていると、人々はピアノの美しい音に無関心になっていくような気がするからだ。

プリン

2.食べてください

「調律終わりました。ちょっと弾いてみませんか。」と言っても、弾いてどんなものになったかと、食べてみてくれた人は少ない。美味しくなったとか、まずくなったとか、塩辛いとか、甘いとか、酸っぱいとか、焼き過ぎだとか、火の通りが悪いとか少しでも感じたことを伝えて欲しいのだ。せっかく料理したので熱いうちに味わって欲しいと思うのだが、私の前で弾いてみるのは恥ずかしのか、私を完全に信頼してくれているのか食べてはくれない。少し分からなくなる。

レストランに入り注文して出てきた料理を食べなかったり、残したりすると、やはりコックはどうして食べてくれないのかと聞きたくなるだろう。よほど美味しくなかったのか、といろんな原因を詮索するだろう。コックはコックなりに一生懸命料理を作りお客さんの喜ぶ顔を想像し、また食べに来て欲しいと思っているだろう。そして、お客さんが美味しく食べてくれることがコックである自分の存在の意味と生きる喜びだと確信するに違いない。

どうか食べて下さい。そして、感想を聞かせてください。

プディングのレシピ