街を歩くといろんなところから様々な音が聞こえてくる。ガソリンスタンド、ブティック、レコ−ド店、靴店、ファ−ストフ−ドの店、携帯電話、カ−ドが出てくる時の公衆電話など、どこからも必要以上に大きな音が流れている。レコ−ド店ではジャンルの異なるコ−ナ−でそれぞれの音楽が流れている。何の曲を聴いているのか分からなくなる。ア−ケ−ドに入るとまたそれが凄まじい。天井からはア−ケ−ド用の音楽が流れているというのに店の外を向いてCDラジカセが身震いしながら大音量で叫んでいたり、店それぞれが違う音楽を流し合ったりしている。観光地では、売店の拡声器から演歌が大音量で流れている。しかも、音が歪んでいる。せっかく美しい自然を見に行ってもだいなしにされてしまう。家庭に行ってもうるさいことが多い。ピアノの練習をしている横でファミコンの音がしていたり、テレビをつけたままCDを聴いていたりする。
文明の利器は使い方を間違えるとよくない。最近は、あまり耳にしなくなったが、石焼き芋やワラビ餅屋さんの鐘、豆腐屋さんの笛、あさり、しじみの行商の声など、私達の生活には、それくらいの音量が適当なのではないか。
自然破壊、環境破壊などについては一般的に感心が高いが、音が人々の生活におよぼす影響についてはあまり論じられることはない。私は音にたずさわるものとして少しでもこのような状況に対してよい方向へ導く義務があると感じている。日頃の生活で無意識の内にうるさい中に身を置いていると人々はピアノの美しい音に無関心になっていくような気がするからだ。